『願わくば』
――いつか、誰かのものになってしまうのならば……



「愛しているよ」
何度も何度も、それこそいつもよりも多く睦言を囁く男。
明日、否、もう朝が来てしまえば赤の他人となってしまうのに。
それでも男はあきらめることなく繰り返し愛を囁く。
まるで、そうすれば、未来が変わるかのように。
「愛している」
けれど、一緒にいる未来を望まなかったのは男のほうで。
頑なに夢を諦めたくないのだ、と言い続け、難攻不落と言われた家庭教師を折れさせた。
自分としてはこちらに引き込みたくはなかったのだから、素直にその結果を受け入れた。
「愛しているんだ」
もしかしたら自分が此処に残ることで、自分たちも引きとめようとしたのかもしれない。
しかし、それは許されることではなかった。
「愛しているから」
すがるような声と、眼と、腕と、熱と。
全てが今日で終わる。
「愛してる」
何度目かの言葉に、思わず男の喉を掴んだ。
勢いをつけて男の上に馬乗りになる。
熱はまだ体内に蓄積されていて、自分の熱を煽るけれども、それに構っていられなかった。
何も言わず手に力を込める。
“愛している”
そう言葉にするくせに、男は自分から離れようとする。
“愛している”
この男には幸せになってもらいたい。
自分を忘れて……。
けれど。
“お前を愛している”
それが、その感情が、いつか自分以外に向けられるのに耐えることが出来なかった。
乾いて切れた唇が何かを囁いた。
今日は一度も口付けを交わしていない。
“お前だけを愛している”
そう言う男の瞳には、泣き出しそうな自分の姿が映しだされていた。




はっ、と目を覚ましたのはそのすぐ後。
男はすぐ隣で穏やかな寝息を立てていた。
「夢……か」
何という夢を見たのだろう。
イラだって、煙草を吸おうと手に取った。
けれどオイルが切れているのか火がつかない。
クソッと舌打ちをする。
何故だか胃が焼けるように痛い。
情事前に飲んだ酒の所為か。
男はこちらに気づくことなく眠っている。
ゆっくりと男に手を伸ばした。
夢が目の前でフラッシュバックする。
誰かのものになってしまうくらいなら、このまま自分を愛してくれている男のまま、時を止めてしまおうか。
そんな甘美な誘惑がちらつく。
呼吸が苦しい。
首を絞められそうなのは、自分ではないのに。



男を愛さなければ、こんな思いをしなくてよかったのだろうか。
男を殺して自分だけのものにすれば、昔のように、一人でも眠れるのだろうか。
男を殺したとしても、自分のものにならないのは分かっている。
茶番だということも。
けれど。
けれど。
「泣かないで」
気がつくと、頬に手が伸ばされて、優しく包み込まれていた。
「ずっとお前だけを愛しているから」


嗚呼、なんて残酷な男。
俺にお前を忘れるなというのか。
俺を置いていくのはお前なのに。
受け入れていたハズなのに。
俺はもう、この男がいないとダメなのだと思い知らされるばかりで。


今夜一度も呼ばなかった男の名前を呼ぶ。
男は目を細めた。
まるで、眩しいものを見るかのように。
「や……と。……してる。愛してる」
その言葉に男は笑う。
心から嬉しそうな顔で。
幸せそうな顔で。
嗚呼、これで全てが許されるような気がした。

明日男の隣に俺がいなくても。
俺の隣に男がいなくても、世界は変わらない毎日を続けるのだろう。






――――――
某動画サイトの「炉/心/融/解」という曲をエンドレスリピートしていたときに書いた話。

分かれるネタは尽きません
h21/7/6