『政略結婚』
「山本、と結婚、ですか?」
思わず出た声は意外すぎて、誰もが驚くのは当たり前か、と思わずにいられなかった。けれど獄寺の内心はそんなもので占められていたのではない。本音をいうと山本なんてまったく眼中にないのだ。あんなうそ臭い笑顔を振りまく男なんて、どうでもいい。獄寺にとって一番大切なのは目の前の主。今、自分に政略結婚を言い出した、ドンボンゴレ沢田綱吉その人なのだ。
その人が、自分に結婚してくれと懇願した。これが彼から自分に対するプロポーズなら、一にも二にもなく受けただろうに。彼が獄寺と結婚して欲しいと言ったのは、よりにもよって、山本武という男。
これは罰なのだろうか。柄にもなく恋をしたことの。唯一の主と決めた人に、恋情を抱いてしまったことに対する罰なのだろうか。獄寺の声は震えた。
「本気、ですか」
すまなさそうな顔をして、綱吉はこちらを見ている。
ああ。これは現実なのだ。愛した男に別の男に嫁げと言われるなど思ってもみなかった。この恋が叶わなくてもよかった。一生この人についていくと決めたときから、結婚なんて、一人の女として生きることなんて、とっくにあきらめている。ただ、この人の傍にいられるだけで幸せだったのだ。そかし、それさえも自分には許されないことなのか。
山本には自分たちがイタリアに渡るとき、自分が並盛を統括している時雨組の後継者だと明かされた。だから守護者として有事の際は駆けつけるけれど、普段は日本で暮らす、ときっぱりと告げられたのだ。リボーンはそれでいいと頷いたし、獄寺も綱吉も一般人である人間を連れて行くことに、罪悪感があったから、彼が所謂ヤクザだと知って安堵したのだ。
だから山本に嫁ぐということは、主から離れて暮らすということに他ならないのだ。絶望で目の前が暗くなる。けれど主の声だけは依然はっきりと聞こえた。
「隼人には申し訳ないんだけどさ。一応山本もイタリアっぽくいうとマフィアのボスでしょ。色々問題があるらしくて」
九代目のときからいる幹部たちは沢田のことを認めてくれている。けれど同盟マフィアや部下の中には良く思っていない人もいるのは確かで。その人たちへの反撃材料を与えないためにも、獄寺に山本の下へ嫁いでほしいというのだ。
他ファミリーの娘である獄寺と、極東マフィアたるとも言える組の当主。それがボンゴレという格式あるマフィアの主の側近というものは、当人たちが気にしていなくても、十分問題足りえたのだ。
中略
「久しぶりだね」
「雲雀、一体何のようだ」
青色の下地に赤い花をあしらった着物を着て、雲雀のいる部屋へと入る。いつもなら、待たせるなんて、と怒る男だが、珍しく大人しく出された茶を飲んでいた。
「随分似合わない生活してるね」
目を細めて上から下へ視線を投げかけられる。皮肉混じりなその言葉に隼人は何も返すことはしなかった。
「山本武も随分と手の込んだことをしたよ。君を手に入れるために、家を継ぐなんて」
「アイツの話はすんな」
吐き気がする、と隼人は拳を握り締めた。聞きたくもないと、首を振る。
「山本武も本当に馬鹿だよね」
「一体何の用だ!! 俺をおちょくりに来たのか!!」
雲雀は関係ない、と話を続ける。獄寺は机を叩いて睨みあげた。
「本当に君は短気だね。話は最後まで聞くものだよ。コレ」
獄寺の前に出された数枚の書類。そこに示された印を見て、獄寺は目を瞬かせた。
「これ」
「綱吉から直接渡してくれって。まったく、僕を使い走りにするなんていい度胸だよね」
口の端をあげて、雲雀は茶菓子を口にする。使い走りにしようったって、そんなこと、この男がただでするわけはない。一体何を貰ったんだか、と隼人は眉間の皺を寄せた。
「でも、何でお前なんだ」
「そんなの山本武が何するかわかんないからでしょ」
「はあ?」
「君のことになると見境なくなるみたいだね」
良かったね、本気で惚れられてて。女冥利に尽きるんじゃない、と雲雀は哂う。
冗談じゃない、そんなもの要らない、と隼人は視線をそらす。
「君の感情を聞いてるんじゃないよ。大体嫌と言わなかったのは君じゃないか。了承したのなら、それはもう君の責任だよ」
隼人はその言葉に詰まった。そうなのだ。了承したのは隼人自身。綱吉は、嫌ならやめてもいいと言った。けれどボンゴレの利益のため、と自らの恋情すら抑えて頷いたのは隼人自身。けれど、そのときはこんなことになるとは思っていなかったのだ。
「抱かれる覚悟くらいあったハズでしょ。互いに恋情があろうが、なかろうが、健全な男なんだから、求められて当然じゃない」
雲雀が自分の首筋を軽く叩く。隠そうとしても隠し切れない所有印の場所。
「まあ、僕にはどうでもいいけどね。それより、ちゃんとソレ読んでよ」
飽きたというように雲雀は立ち上がる。帰るのかと思ったのだが、襖を開けて手入れの行き届いた庭の縁側に腰を下ろした。隼人が読み終わるのを待っているようだった。
ため息を一つついて、思考から雲雀も武も追い出す。目の前には久しぶりのドンボンゴレ直印。久しぶりのイタリア語。それに乾いた心を潤されていくような感じがした。ああ、自分はやっぱり仕事が生きがいなのだ。
書類を読み進めていくうちに、いつの間にか引き込まれていく。二枚目、三枚目と読んでいくうちに、隼人の表情が変わる。
今物音を立てても気づかないほどの集中力に、雲雀は笑った。部屋に入ってきたとき、死んだような表情に、瞳だけが爛々と輝いていた隼人を思い出す。手に入れる手段は非道だったが、山本武ならもっと上手く出来たはずだ。それなのにそれをしないで、この場所に閉じ込めるように手中に収めた。おそらく大切に籠に収めるように守っているのだろう。外で飛び回る野鳥を籠に入れても意味もない。本人にとって迷惑だと分かっているだろうに、気づかない振りをしている武が笑えた。愛されないと分かっているなら、憎まれたい。そういう思考だろうが、それは凶とでるか、吉とでるか。
「雲雀、これ」
いつから、という言葉にならなかった隼人の質問に、雲雀は庭を見たまま答えた。
「話は僕と山本武がこっちに残るってところからだね。ここまで本気で詰めることになったのは、君がこっちに来ることが決まってから」
「嘘だろ」
「残念だけど本当だよ」
零れた言葉に返して、雲雀は隼人の前に戻る。信じられない目をした隼人に、どうするの、と尋ねた。
「やるの?」