選択小説H話その後
お近づきの印
「お腹空いたの」
そういってこちらを見上げた表情に、あやうく仮面が外れるところだった。
自分がここにいる理由を忘れるつもりはないけれど、それでも存在するはずだったものを懐かしく思うのは仕方がない。
大きな目を潤ませじっと見つめられて、一護は思わず苦笑した。
幼い子供にこんなことを思っていても仕方がない。
まあ自分にとっては彼女だけではない、他の面々も皆幼いのだけれど。
「では、何か食べましょうか」
視線に耐え切れなくなり、一護はそう提案する。
そうすると、彼女は花が綻ぶような笑顔を見せた。
何でもいいからお腹減った、と主張する幼子に一護はとりあえず食堂に向かおうとやちるを抱えあげた。
抱えあげたのは無意識だ。
まずかったか、と思ったけれど、やちるが何も言わないので一護はそのまま食堂に向かう。
彼女はよく外を歩き回っているのを見かける。
だからか、彼女からは太陽の香りがした。
「太陽みたいだね」
いきなりやちるがそんなことを言い出した。
目を瞬いた一護がやちるをみる。
やちるが見ているのは一護の独特のオレンジ髪。
この色は珍しく、他の隊員からみると恐れられるその色。
けれどやちるは恐れもせずに、手を伸ばしてそれに触れてくる。
この幼い少女があの剣八の鞘か。
剣八を思い出して、一護は幼子を優しく見つめた。
僅かな時間だったが、ふと、一護はあることを思いついた。
「甘いものといえば、」
とりあえずお腹に溜まるものをと丼を頼み席についた。
いくらなんでも彼女一人をここに置いていくことは出来ないし、一護はお茶だけを手元に置いてやちるを眺めていた。
幼い彼女に器は大きいのだが、それを気にせず一生懸命に頬張る姿が微笑をさそう。
「現世にはここではめずらしい菓子がたくさんあるそうですね。食べたことありますか?」
頬についた米粒をとってやりながら、一護は優しく笑う。
やちるは気にすることもなく、一護の言葉に首を振った。
やちるには剣八に拾われる前の記憶などほとんどない。
この世界に来る前には現世で生きていたのだろうが、そんな記憶があるはずもない。
拾われたあとはずっと彼について、ずっとこの世界でくらしている。
彼女が現世のことは知らない。
だから彼女がこの話に目を輝かせるのは当然のことだった。
「以前作り方を教えてもらったことがあって、食べてみませんか?」
「食べたい!!」
輝くような笑顔と声で言われて、一護はにっこりと笑顔を彼女に向けた。
「草鹿副隊長はいつお休みですか?」
「いつでも!!」
だからすぐにでも食べたいのだと身体を乗り出すようにして、一護に近づいた。
一護はやちるの前に人差し指を立てて、言い聞かすように言葉を繋ぐ。
「それはいけません。副隊長はきちんとご自分のお仕事をお片づけにならなければ、他の人の休みが取れません」
それにやちるは不満そうな顔をする。
「えー。でも皆やらなくてもやってくれるし」
「副隊長、隊長しか印を押せない書類もあります。それを三席以下で片付けることは、違反です。下手をすれば処罰されますよ」
「いっちーカタイ」
「いっちー、まぁ呼び方はどうでもいいですが。あいにく私は今回上官に仕事を言われていましてね。それが、十一番隊の書類を頂いてくることなんです」
「いっちー上官いるの? 三席じゃないの?」
一護の言葉にやちるは首を傾げ、その後の言葉に今度は一護が首を傾げた。
「三席? 私がですか?」
だって、とやちるは一護に大きな目を向ける。
「だって副隊長会議で会ったことないし、だから三席かなって」
「だからどうして私が三席なのでしょうか?」
「いっちー、強いでしょ」
疑問系ではなく、断定で言われて、一護は思わず言葉に詰まる。
やちるの瞳は茶化しているようでもなく、適当なことを言っているわけでもなく、凪いでいる。
一護は草鹿やちるという少女が幼い子供ではなく、この世界では当たり前のように見た目とは違う年齢を重ねていることを確認させられた。
一護が気を抜いていたわけではない。ただ、幼子に対し、気を張っていたわけでもない。
それはある意味人を観察するのにはうってつけで。けれど、それを生かすだけのセンスも必要なのも確かで。
やちるはそれを兼ね備えた人物だということを実感させられた。
ね、と自信満々に言われ、一護は思わず苦笑した。
「私は平隊員ですよ」
悪戯っ子のような笑顔を浮かべてやちるに笑いかけた。
「ですから、秘密です」
「二人の秘密だね」
ふたりで、ねーと笑いあう。
「いっちーは十一番隊の書類持って行かないと怒られる?」
甘いものーとやちるはぜんざいを頼んだあと、一護に先ほどの話を戻した。
「怒られる、ことはないかもですが、休みはもらえないでしょうね」
怒られるより、嫌味を大量に貰うことは確実で、それにため息をつきたくなる。
「書類がそろえば、明日にでも休めるんですが、早くて半月後。しばらくは無理そうですね」
一護が残念そうに言えば、やちるはぜんざいのもちを口に放り込んだ後、しばらく考え込み、口を開いた。
「あたしに出来るかな」
「草鹿副隊長は護廷のことをよく知ってらっしゃるでしょう?」
「うん。ギンちゃんがどこに隠れるか、とか、隊舎から隊舎の近道とか」
「でしたら大丈夫ですよ。難しい言葉は三席に聞けば答えてくれるでしょう」
「終わったらお菓子作ってくれる?」
「草鹿副隊長が頑張られるなら、私も頑張ります」
にこにこと言葉を交わすのを回りの人たちは珍しいものを見ているかのように視線を向ける。
十一番隊の人間はやちるとこんなところで一緒になったりしない。たとえ一緒だとしてもにこにこなどしない。
一護はそれらの視線を気にすることなく、一つ仕事が片付きそうなことにホッとする。
一護の外見からして自分が十一番隊の者に見られているだろ請けれど、気にしない。
気にしていたら自分はここにいないのだから。
だから、この少女といる時間を楽しもうと思い、どんなお菓子が作れるのか。やちるの笑顔が見たくてそれを口にする。
明日、店の菓子を持って、指し入れしに行こうと考えながら。
さて、仕事が休みになったら、どんなお菓子をつくろうか。
―――――――
選択式の番外編。
やちるを手なずけた話でした。
どうしてシリアスちっくになるのかなぁ
h21/3/28